ラジオ工作と技術・家庭科「ラジオ少年の時代」展
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ラジオ工作と技術・家庭科「ラジオ少年の時代」展

タイトル写真は、1950年代に真空管ラジオを組み立てる雰囲気を再現したものです。ラジオに興味のある少年たちを「ラジオ少年」と呼びます。特別にラジオを趣味としていなくても、1960年代から70年代までの男子中学生は、技術・家庭科の授業でラジオ工作を経験しました。日本ラジオ博物館初の企画展として、ラジオ工作と技術・家庭科、学校放送をテーマに取り上げました。

特別展要旨

戦後、職業教育として拡充された技術家庭科によって、男子中学生は木工、金工、電気などの基礎を学びました。そして、その電気の分野には、ラジオ製作が含まれていました。こうして男子中学生は、誰でもラジオの組み立てを経験しました。

同じ時代、昭和20年代から40年代にかけて、多くの青少年が学業としてではなく、趣味としてラジオ工作に取り組みました。簡単なゲルマ・ラジオから真空管式ラジオやトランジスターラジオへと進むのが一般的なラジオ少年の軌跡です。その先には、より本格的なアマチュア無線やオーディオの世界がありましたが、当時はいずれも機器を自作しないと楽しむことができない趣味でした。

少年たちをはじめとするアマチュアの活動は、ラジオ産業にとって無視することのできない市場でもありました。彼らの活動を、多くの部品メーカが支え、出版業界は雑誌や参考書の出版で助けました。また、現代日本を代表する電子部品メーカや電子機器メーカの多くがアマチュア向けの部品の製造からその成長の糸口をつかみました。

日本ラジオ博物館のオープン1周年に当たり、2階特別展示室を整備しました。最初の特別展として、戦後のアマチュアが手作りした機器と、戦後の技術家庭科、理科教育に使われた教材、実験器具、および関連資料として学校放送用機材を展示しました。

ラジオ工作の流行と技術家庭科の始まり

1951-64(昭和26-39)年
戦後の占領期が終わり、日本が国際社会に復帰するとともに高度成長へ向けて経済が復興し始めました。この中で小中学生をはじめとしてラジオ工作が流行しました。

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アマチュアが組み立てたラジオ。アルミのパネルを付けただけのスタイルは手作りラジオの典型的なものです。(1960年代)

1955年頃から半導体が市販されるようになり、初心者が初めて手掛けるラジオは鉱石ラジオからゲルマラジオへと変わりました。まだ真空管が主流の時代ですが、多くのアマチュアがきわめて高価な初期のトランジスタを使った回路の製作に熱中しました。

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1950年代のラジオの組み立ての様子を再現した展示です。組み立て配線が終わって、配線図に色鉛筆で印をつけながらチェックしているところ。これからはじめて電源を入れる緊張とワクワクする大切な瞬間が待っています。

一時期、テレビの自作も流行しましたが、市販品が急激に安価になり、下火となったのに対して、電蓄などのオーディオ機器は高率の物品税により完成品が高価であったことから手作り品が主流でした。また、並の電蓄以上の性能を求める愛好家は手作りの機材を求めるしかありませんでした。また、
アマチュア無線は1952(昭和27)年に再開されましたが、市販の無線機はなく、すべて自作しなければ始めることができませんでした。

低年齢層が底辺となるラジオキットの組み立てから始まり、大人の趣味としてのオーディオやアマチュア無線人口の拡大に伴い、多くの部品メーカがアマチュア向けに部品を供給し、アンプや無線機のキットを手掛け、一部はセットメーカへ、一部は大手部品メーカへ成長していきました。オーディオ御三家と呼ばれたトリオ(現JVCケンウッド)、パイオニア、山水はその代表例です。

終戦直後に職業科として始まった技術教育は、科学技術振興政策により1962(昭和37)年から男女別の技術・家庭科となりました。この科目では木工、金工などとともにラジオの組み立ても取り上げられました。この時代、すべての男子中学生がラジオ作りを経験するようになりました。

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教材となった3球ラジオのキットを組み立てたもの(1960年代)

こうして趣味や授業の一環でラジオに関心を持ち、技術を勉強した若者たちは社会に出て一線の技術者や研究者として活躍しました。
ラジオ工作は、日本のエレクトロニクス産業、特に部品産業の成長の原点でもあり、産業界に優秀な人材を供給するのに大いに役立ったのです。

オーディオ機器の自作

1960(昭和35)年頃まで、電蓄には高率の物品税が課せられ、メーカ品は割高でした。また、普通の電蓄で満足できない層に向けた高級音響機器の市販品はほとんどありませんでした。このため、安価な電蓄がほしい人も、高いレベルの装置がほしい人も、装置を自作する、もしくは作れる友人などに製作を依頼することになりました。

戦後、スピーカやトランスなどの部品専業で出発したメーカが、1955年頃からアンプなどのキットを発売するようになり、アンプなどの自作が容易になりました。その後、ハイファイブームに乗って完成品の量産に乗り出し、オーディオ専業メーカとして発展していきました。現在ではオーディオ機器を手作りする必然性はなくなりましたが、アンプやスピーカーボックスの自作は大人の趣味として定着しています。

特別展では初期の山水電気製のアンプキットを紹介しました。これは、当時東京在住の若い会社員が組み立てたものです。

アマチュア無線と自作

1952(昭和27)年に再開されたアマチュア無線は1960年代に入ると、入門者向けの「電話級」資格ができたこともあって多くのラジオファンがその資格取得と開局を目指すようになりました。

しかし、当時は市販品の無線機は存在せず、送受信機からアンテナまで、すべて手作りするしかありませんでした。初期のアマチュア無線家は、使い古しのラジオや中古の軍用無線機の部品などを活用して無線機を手作りし、当局の検査を受けて開局したのです。

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戦前にJ3GNのコールで開局し、戦後再開したJA3AZ局で使われた送信機の一部です。アメリカ製の中古無線機のケースやラジオの部品を使って組み立てられています。

この頃は、電波法に謳われた「技術的研究」の目的が実践されていたといえますが、次第にメーカー製のキットが発売されるようになり、1970年代には技術の高度化によって完成品の無線機が主流となりました。

戦後の学校放送

戦前、1935(昭和10)年に学校放送の全国放送が始まり、戦争末期の1945(昭和20)年に休止したものの、戦後、1945年末に児童向けの学校放送が再開しました。1947(昭和22)年には教育基本法が制定され、学校放送が積極的に活用されるようになりました。

NHKは学校放送用拡声装置の認定などを通じて設備の拡充に協力しましたが、大型の全校式設備を持つ都会の大規模校と、地域によっては電気すらない、地方の小規模校の格差は激しいものがありました。

1950年、放送教育の活用に関する研究を行っていた各地の研究会の全国組織として、放送教育研究会全国連盟(全放連)が設立されました。役員は全て教職員からなる団体で、視聴覚機材の研究活動をNHKなどとともに積極的に行い、放送装置や教室用スピーカ、テレビ機材などは「全放連規格」品が主に採用されるようになりました。

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学校放送用のアンプ、スピーカなどの機材(1950-60年代)の展示

1952年4月の文部省の機構改革によって視聴覚教育課が新設され、スライド、映画、音楽教材などとともに放送教育を専門に取り扱う部署ができました。

同年には文部省から「視聴覚教材の手引き」および「視聴覚教材の設備」という手引書が刊行されました。これにより、望ましい全校式放送設備、テープレコーダ、ラジオなどの基準が定められ、放送室を備えた全校放送設備、テープレコーダを備えた設備が目標とされました。1952(昭和27)年から、教育放送の時間数の限界から、教育放送が全面的に第2放送に移行することになりました。

教育放送の効果は、特に僻地教育について顕著に見られました。NHKは1955(昭和30)年から59(昭和34)年にかけて、放送開始20周年記念行事として、僻地校に対するラジオの贈呈が実施され、電気の無い学校には電池式のラジオが贈られたことで全国の学校にラジオが行き渡り、同年の学校へのラジオの普及率は90%を超えています。

1953(昭和28)年のテレビ放送開始以後は学校にテレビが急速に普及し、1960年代後半にはすべての教室にテレビを備える学校が増えていきました。

テレビの普及により学校でラジオの教育番組を聴取することは少なくなり、学校の全校式放送設備は、ラジオを聴取するための設備としてではなく、主に校内放送設備として活用されました。

「放送」の意味は、ラジオ放送から校内放送に意味が変わっていきました。小学校でも「放送委員会」などの名称で生徒がアナウンスなどを担当し、中学、高等学校になると、定時放送の業務以外に昼休みに流す「番組」制作が放送部の大きな活動となりました。

放送を担当する生徒の技術向上を目的として、1954年から全放連とNHKが主催する「NHK杯全国高校放送コンテスト」が開催され、アナウンス、朗読、番組制作などの部門で競われています。中学校部門はかなり後になって1984年からNHK杯全国中学校放送コンテストが始まりました。このほかに、民放や企業、公共団体などが募集する番組コンテストやCMコンテストがあり、多数の中学、高校が参加しています。

概要

企画展名称:
ラジオ少年の時代
開催情報:
2013年4月27日から11月24日、旧館2階特別展示室

出展目録

主な展示品

ポスター

ポスターに表記されている所在地、連絡先は、開催当時のものです。

館長のひとりごと

開館から1年目、空いていた2階を整備して初めての特別展を開催しました。最も多い50―60代の男性に向けて、手作りのラジオと技術家庭科、学校放送をテーマにしました。

展示品の中には、自分が本当に技術家庭科で作ったラジオ、高校生だった兄が実習で作ったラジオ、終戦直後に父が手作りしたラジオを展示し、家族総出?の展示になりました。

足りない展示品はネットオークションなどで調達しました。当時は高価でとても買ってもらえなかった学研の「電子ブロック」をつい大人買いしてしまいました。

学研の『5年の科学』の付録のゲルマラジオを組み立てたものは取ってあったのですが、元の雑誌はさすがに捨ててしまっていました。学習研究社さんに問い合わせたところ、快く保管していた雑誌のコピーを提供いただき、ラジオとともに作り方のページを会場に展示しました。

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日本でラジオ放送が始まって95年を超えました。当館では日本製のラジオを中心にオーディオ機器など歴史的に貴重な製品及び関連資料を、放送の歴史の流れに沿って分類、整理してネット及び長野県松本市の博物館で公開しています。タイトル写真は展示室の様子です。