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当館のあゆみ(ネット博物館時代) 2007-2012

タイトル写真は、残っている最古の2008年の当館のサイトのトップページです。2007年に「日本ラジオ博物館」を名乗ってネット上の博物館を立ち上げてから松本の博物館を開き、現在の新館に移転するまでのいきさつをお伝えします。

「日本ラジオ博物館」立ち上げ 2007年3月31日

ラジオのコレクションを長く続け、ラジオで部屋が埋まるようになっていました。整理が付かないので番号を付けてデータベースを作ってはいました。

コレクター仲間からは「ホームページを作れ」と言われていました。ほかの分野でホームページは作っていましたので、自分の博物館をつくるという夢への第1歩という感じでサイトを作り始めました。2007年のお正月の事です。

最初は10個くらいのコンテンツで何とかラジオの歴史の一応の流れができたので3月31日に公開しました。サイトを見た知り合いからは「日本ラジオ博物館」というたいそうな名前にあきれられたものですが、一応事前に調べて他に使ってなさそうだから良いかなと思って付けてしまいました。民間でも「日本自動車博物館」なんてのもありますし。

名前もそうですが、最初から「ホンモノの博物館」をめざしました。個人のサイトにありがちな思い入れや感想は一切排し、第三者の視点と冷静な文章を心掛けました。また、活動方針などもきちっとまとめて、施設はないものの「博物館」の体裁を整えました。

展示室を作る 2007年2月

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サイト作りと並行して展示室を作っていました。と言っても今の博物館ではありません。私は長野県内に小さな別荘を持っています。別荘というとなんか贅沢な感じがしますが、買った当時で築30年、お値段はちょっとした自動車より安いという代物でしたので、別荘でのんびりするというより大工仕事に通っているという感じでした。知り合いの地元の大工さんの指導で腕も上がり、道具もそろってきました。「ひとりビフォー・アフター」の仕上げとして、和室一つをまるまるリフォームして展示室を作る事にしました。

写真は部屋ができあがった頃の写真ですが、アマチュアの日曜大工ではないですね。正面と左の壁を全て取り払って壁を作り直す大工事でした。2006年の秋に作業を始めてこの状態になったのが12月、そろそろ雪が降ってくる季節でした。

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室内の仕上げは大雪が降る2月になりました。薪ストーブをガンガン焚きながらの作業でした。「展示品」が入って完成したのが上の写真です。このほかに知り合いが持っている空き家を格安で借りて自宅に置ききれないラジオを運び込んだ自称「収蔵庫」もできて、博物館の形ができてきました。

この展示室は親しい友人以外に見せたことのない非公開の施設ですが、サイトの閲覧者が少しずつ増えてくるにしたがってマスコミからの問い合わせも来るようになり、「アナログ」誌の取材を受けて誌上に紹介されました。また、他の本物の博物館からの問い合わせも来るようになり、テレビ局や映画から貸し出しや協力の話が入るようになってきました。

私よりも貴重なものをお持ちのベテランのコレクターの方はたくさんいます。それでも当館に連絡が来るというのもネットで広く発信していたからだと思います。残念ながら現代は「ネットに出ていないものは存在していないのと同じ」ということなのだと思い知りました。

ホームページ充実 2008年

初期のサイト2008

ホームページを開設して、ということは日本ラジオ博物館が開館して1年ほどたった頃のトップページの一部です。最初の目論見とは大きく違って、項目がえらく増えていることがわかります。内容の充実とともにヒット数も増えてきました。

2009 AWA World Convention に参加

2009年8月21日から23日、アメリカ最大のアンティークラジオのクラブであるAntique Wireless Association (AWA) の年次総会がニューヨーク州ロチェスターで開催されました。ニューヨークと言ってもニューヨークシティではなく、5大湖に近い郊外の町のホテルが会場です。

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会場のR.I.T. Inn & Conference Center

会場では大規模なラジオのフリーマーケットが開催されます。ホテルの広い駐車場いっぱいにアンティークラジオのブースが並んでいるのですから日本では考えられません。

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手ごろな価格のジャンクを持ってきているブース。こんなブースが数十並んでいます。持って帰ることを考えなければ大量に買い込んでしまいます。

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このイベントへの参加は初めてではありませんが、今年の目的は買い物ではありません。イベントにはフリーマーケットの他にオークションや講演会などがありますが、その一つのThe Old Equipment Contestに参加し、放送局型123号受信機を日本から持ち込んで展示しました。パネルも手作りで日本から送りました。コンテストにはもっと貴重な素晴らしいコレクションも展示されましたが、Category No.9 The Standard Receiver 1930s and 1940s の部門賞をいただきました。日本からの出品及び受賞は初めてのようです。アメリカのベテランの研究者でも、トランジスターラジオがたくさん輸出されてからの日本のラジオのことはよく知っているのですが、戦前の日本のラジオの歴史の事は思ったより知られていないので注目されたようです。これに気を良くして?来年も参加することになりました。

2010 AWA World Convention に参加

翌年もAWAの年次総会に参加しました。このイベントは8月17日から21日と、ちょうど日本のお盆休みが終わった後の週末という、サラリーマンとしては非常に休みにくい時期に開かれます。せっかくアメリカに行くのならいろいろ観光もしたいところですが、会場に行くだけの2泊3日という、世界を股に掛けるビジネスマンなみ?のハードスケジュールです。

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今年もThe Old Equipment Contest に参加、今年のテーマは「トヨタ」です。終戦直後にトヨタ自動車が自動車の生産を禁止されたためラジオをつくったことがありました。ラジオの紹介とともに名古屋のトヨタ博物館に取材して、創業から1950年代までのトヨタ自動車の歴史もパネルで紹介しました。この年はCategory No.17 Cathedrals and Tombstone の部門2位となりました。

今でこそアメリカで信頼されているトヨタですが、創業から終戦直後にはこんな苦労した時代があったということを知っていただければという思いで展示しました。車好きが多いアメリカ人にアピールしたようです。

AWA Review に寄稿 2011年

昨年のトヨタラジオの展示をきっかけに、AWAの機関誌への寄稿を求められました。併せて、日本のラジオの歴史の原稿と、8月の年次総会でのプレゼン(当然英語です)を依頼されました。ちょうど3月の東日本大震災の後、暖房を節約して少し寒い部屋で原稿を書いていました。アメリカからは心配されましたが、ガソリンがなく、どこへも行けず時間があったので原稿に取り組みには好都合でした。クラブの機関誌への寄稿ということで甘く考えていましたが、ph.D.の資格がある役員の厳しい査読があり、下手な学会誌より大変でした。夏までに英語でプレゼンできるように会社の近くの英語教室に通いました。

東日本大震災、原発事故という経験したことのない大事件があって、被災地から離れていて大した被害がないといっても、大きな余震が続き、計画停電やらガソリンの不足やらで大変でしたが、この中でこの英語の論文を書いたりサイトをせっせと更新していました。

2011 AWA World Convention に参加

今年も8月16日から20日に開催された年次総会に参加しました。今年のコンテストのテーマは「日本の小型ラジオのはじまり」として、シャープとナショナルの昭和20年代前半の小型ラジオを展示しました。

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この展示の中で、プラスチックと小型部品を使って洗練されたアメリカ製品にあこがれた日本のメーカが、見よう見まねで木やアルミ鋳物でそっくりのキャビネットを作り、低品質の大きな部品を押し込んで、何とか小型ラジオらしきものを作り上げたところから、mT管を使ったプラスチックキャビネットの小型ラジオを量産するまでの流れを表現しました。今回の展示は部門賞およびコンテストアワードを受賞しました。

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今回は50周年記念のInternathonal Presentation の一環として、"The History of Japanese Radio"と題して、放送開始から終戦までの日本のラジオの歴史についてプレゼンを行いました。英語教室の成果はありましたが、緊張しました。内容は放送開始から終戦までの日本のラジオの歴史ですが、最後のほうで公式の英訳を写しながら玉音放送全文をお聞かせしました。

終わった後でパーティに参加しました。楽しく食事していると表彰式が始まりました。受賞者がちょっとしたスピーチをやっています。アカデミー賞の授賞式でスターや監督がやっているあれですね。アカデミー賞だけでなくて一般的な習慣のようです。となりから「おまえもアワードを取ったんだからやるんだよ」といわれて真っ青に、そのあとは食事がのどを通らずに何を言おうかずっと考えていました。何とかスピーチらしいものができて拍手をもらえたのでほっとしました。

翌年からは松本の博物館をオープンしてしまったので時間がなく、その後は行っていません。せっかくできた海外とのつながりですが、その後はAWAの会員資格も切れてしまい、生かせていません。もう少し語学力がないとだめですね。

2012年年頭に

この段階ではまだ、リアルな博物館を開けるなどとは全く考えていませんでした。お正月は時間があるので、いつもどおりラジオの整備とサイトの更新を淡々と続けていました。

このあと、急転直下のホンモノの「博物館」設立となります。↓




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