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戦時下のラジオと情報統制展

このタイトル画像は、太平洋戦争末期に米軍のB-29から散布された「アメリカの声」ラジオ放送時刻表を印刷した伝単(ビラ)です。これを拾ったら警察に届けないと処罰されました。わずか75年ほど前には、決まった放送しか聞いてはいけない、外国の放送を聴くとスパイ扱いされるという時代が確かにありました。昔の話のようですが、今でもこれに近い国は世界にいくらでもあります。平和を謳歌していた1980年代展とリンクさせて、本当にあったこんな時代を示す資料を展示しました。

はじめに

1931(昭和6)年の満洲事変に始まり、1937(昭和12)年には日中戦争に発展し、1941(昭和16)年に太平洋戦争開戦、そして1945(昭和20)年の敗戦に至る約15年の昭和初期は、まさに戦争の時代でした。また、この時代はラジオ放送が始まり、ラジオが一般家庭に普及した時代でもありました。

この戦争にはラジオが大きな役割を果たしました。戦前は放送局が日本放送協会一つだけ、海外放送の聴取は禁止され、情報は厳しく統制されていました。今回の展示では、戦時中のラジオセットとともに、ラジオの情報統制を示す貴重な資料を展示します。

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非常に珍しい日本製の短波受信機。デリカAC型(三田無線研究所、1942年頃)。家庭用ラジオのような箱に入ってはいるものの、巨大で重く、中身は本格的な通信機です。日本では海外放送の受信を厳しく制限したために、短波ラジオの技術や生産能力が進歩せず、海外に比べて非効率で高価すぎるものしか作れませんでした。このことは、同じ電波を使う軍用無線機の性能や生産能力にも大きな影響を与えました。

回覧板ラヂオ受信機についてのご注意

中村という村の村長名で村の顔役向けに出された回覧板(1943年)です。きれいな字ですが、旧字、カタカナでは読みにくいので、ひらがな、常用漢字に直しまてみます。

部落会長 隣保班長 殿  中 村長
中第56号 昭和18年3月19日

 ラジオ受信機についての御注意

ラジオ受信機について左記(注:写真の通り原文は縦書き)の通り其筋から注意がありましたから御部内関係者へ御周知方御依頼申上候
    
    記

一、我国ではラジオ受信機の国内放送をきく「中波受信機」より外の者(原文ママ)(主として外国製の者)は使用を禁止されて居ります

二、もし禁止されて居りそうな受信機を持って居る人は使用して居らん者でも早速郵便局へ届けて置かぬと厳罰に処せられます

小さな村にまで海外放送が聴けるラジオの取締りが周知徹底されていたことがわかる貴重な資料です。この文書が出された頃に、短波受信機の大規模な一斉取り締まりが行われました。自主的な届け出を促すための文書だったのでしょう。「中村」という地名は全国にあるので特定はできないのですが、電波事情などを考慮すると茨城県内ではないかと考えています。

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戦時中のラジオを代表する「放送局型123号受信機」(1942年)。戦況の悪化とともに物資が不足し、このような貧弱なラジオさえ入手は困難になりました。

この企画展は、メインの「1980年代という時代」展と同時開催となります。平成最後の年に当たる今年(2019年)は、1980年から39年にあたります。現在(開催当時)55歳の私は、1980(昭和55)年当時10代でした。ちょうどオーディオやラジオに夢中になっていた少年でした。

さて、1980年代のバブルの時代に50代だったおじさんたちが10代のころを考えてみましょう。1980年から39年前というと、1941(昭和16)年、そう、太平洋戦争が始まった年です。1980年から2019年までの39年の日本は、曲りなりに平和な時代でしたが、1941年から1980年までの日本はそれこそ激動の時代でした。

私が10代だったころの50代は、熱血軍国少年だった戦時中を生き延び、戦後の焼け跡から日本を復興させ、「24時間戦えますか」というCMが流行った時代のバブル期まで、日本の第一線で働いてきた人たちです。80年代の日本はJapan as Number One とおだてられ、有頂天になっていました。厳しい復興の時代を知らない若者たちは、日本製品が以前から世界一だったかのように思い、少し停滞したアメリカを軽んじていました。実際には、戦後の苦労があって80年代の華やかなハイテク技術ができたのです。

このミニ企画展では、戦時下のラジオと関連資料を展示し、80年代の展示と合わせて見ていただくことで、情報統制と貧弱な技術がもたらした災厄と、自由な時代の力強さを感じていただければと思います。

概要

企画展名称:
ミニ企画展「戦時下のラジオと情報統制」
開催期間:
2019年3月16日(土) – 2020年1月10日(金)

出展目録、主な展示品

ポスター

館長のひとりごと

旧館の特別展示室はスペースに余裕があったので、ガラスケース1つを使ったメインの企画展と別のミニ企画展を同時開催していました。実は、このミニ企画展はある偶然から生まれました。計画段階では80年代展とリンクして90年代以降の製品を展示するつもりでした。

準備中に、かつて大きな海外向けの無線局があった福島県のテレビ局から、戦時中の短波放送の禁止に関して戦時中のラジオを取材したいとのオファーがありました。常設展のスペースで取材していただくのは難しいので、まだ展示品を置いていなかった2階のガラスケースにご希望があった戦時中のラジオや資料を特別に並べておいて撮影していただきました。

撮影が終われば当然撤去するところですが、この展示を眺めていて、メインテーマの「1980年」は2019年の39年前、そして1980年から39年前は、太平洋戦争が始まった1941年だということに気が付きました。何か大きな歴史の流れの面白さを感じて、実に違和感のある組み合わせでしたが、バブル期の日本製品の絶頂期の展示と戦時中のラジオの展示を同居させ、戦争が始まった時の電波管制の記事と、1980年代の短波ラジオのカタログが並ぶように展示しました。

ただ、この深すぎるテーマは説明すると納得していただけましたが、ほとんどのお客様にはそこまで読み取っていただけませんでした。ちょっと考えすぎだったかなと反省した次第です。

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