日本ラジオ博物館
長野県松本市の日本ラジオ博物館のご案内です。
日本ラジオ博物館の開催中の企画展の紹介、および過去の企画展を再構成して紹介します。企画展の再構成では、開催時に入手できていなかったものや、スペースの点で展示できなかった大きなものなどを追加し、テーマに合わせて再構成し、より詳しい解説を加えてまとめます。(印刷物については著作権の関係で画像を省略することがあります。)
謹啓 盛夏の候 ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。 平素より当館の活動に格別のお引き立てを賜り厚く御礼申し上げます この度 特定非営利活動法人(NPO法人)の認証を受け 7月4日をもって法人登記が完了し「特定非営利活動法人日本ラジオ博物館」として新たにスタートすることになりました 当館は2007年3月に個人コレクションを公開するバーチャルミュージアムとして始まりました その後2012年5月に松本市内に展示施設を開設して バーチャルミュージアムとともに今まで多くの
みなさま、あけましておめでとうございます。 午前0時、いつもの通りの幕開けとなった2024年ですが、元日の夕方には大変な大災害が発生しました。令和6年能登半島地震で亡くなられた皆様に哀悼の意を表し、また、被災された皆様にお見舞い申し上げます。 現地では永井豪記念館が全焼するなど、博物館、文化財にも大きな被害が出ている模様です。あらためて博物館の防災を考える1年にしたいと思います。当館は、明治時代の建物を使っていることもあって防災体制が十分とは言えません。最低限ご来館される
はじめに 1975年頃からタイトル写真のような立派なラジオが流行し、海外の短波放送を聞く"BCL: Broadcasting Listening " が流行しました。現在(2023年)50代から60代の、特に男性にはご記憶の方も多いと思います。2024年度の企画展では、BCLブームに至る海外放送受信の歴史を取り上げます。 企画展概要 開催場所:日本ラジオ博物館企画展示コーナー 開催期間:2024年4月21日(日)~12月15日(日) 注)4月13/14, 20日は、
昭和30年以降、高度成長期にレコードやテープを再生するオーディオ機器が家庭に普及しました。今回の企画展では、ごく普通の人たちが手にした身近なオーディオ機器を取り上げました。 (タイトル写真は東芝のラジオとレコードプレーヤ、1959年頃) (長野市、草間様寄贈) 戦後の電蓄明治時代から蓄音機とレコードは家庭に普及していきましたが、戦時中に生産が禁止され、レコードには禁止税的な高率の税金(最高120%!!)が課せられ、戦後もぜいたく品扱いとして高い物品税がかけられ続けたこともあ
はじめにタイトル写真は第2次世界大戦中の米軍の無線施設です。無線は、ごく初期のころから軍事利用とともに発展してきました。「ラジオと戦争」は当館の大きなテーマです。国境紛争や内戦など、戦争は世界各地で絶えたことはありませんが、まさか2022年にもなって大国が隣国に攻め込むという、古典的な「戦争」が始まるとは思いませんでした。ここでは、軍用無線機の歴史を中心に、戦争と無線について考えていきます。 Photograph was taken by the U.S. Army Sign
タイトル写真は初期のラジオの説明書のアンテナの図です。2020年にアメリカでラジオ放送が始まって100年になりました。人類が電波を使い始めたのも20世紀に入った頃です。今回の企画展では、初期の無線電信からラジオのはじまりまでを取り上げます。 はじめに電波の歴史は19世紀に種がまかれ、20世紀に花開きました。コロナのせいで話題になりませんでしたが、2020年にはアメリカで世界初の放送局ができてから100年が経ちました。今回の企画展では、ラジオの原点に立ち返り、無線通信が始まっ
タイトル画像はスパイの無線局の配置図です(みすず書房『ゾルゲ事件』より、部分)。ゾルゲ事件は 1933(昭和8)年、ドイツの新聞特派員を名乗って東京に潜入したリヒアルト・ゾルゲ(1895-1944)により組織されたスパイ団によって収集された機密情報がソ連に送られた事件です。この組織は 1941(昭和16)年10月18日に摘発されましたが、ドイツ大使館や日本政府中枢に深く食い込み、第二次世界大戦(特に独ソ戦)の推移に大きな影響を与えたといわれる20世紀の歴史上重要な事件です。
戦後70年の節目の年に、ラジオを通して戦争を振り返る企画展を開催しました。戦時下のラジオ及び関連資料を展示し、戦争の時代を戦争におけるラジオの役割という観点から考える展示としました。特に玉音放送については特別にコーナーを設けて貴重な資料を展示しました。(タイトル画像は、当時電力事業も行っていた伊那電気鉄道(戦時中に国鉄に譲渡され、現在の飯田線となった)が作成した戦時中のラジオのチラシ(部分)、1941(昭和16)年 この記事は「おうち平和ミュージアム」に参加しています。
ラジオはつねに最新のデザインのトレンドを取り入れてきました。この特別展では、ラジオのデザインの変遷に着目し、当館のコレクションから戦前期の海外製ラジオ、戦後についてはGマーク選定商品を中心に、日本を代表する優れたデザインのラジオ、テレビを展示しました。 無線機からインテリアへラジオ放送開始以前、ラジオは「無線機」の一部でした。無線機は船舶や無線局に据え付けられるものでした。一般向けのラジオ放送が開始されると、その無線機が家庭で使われるようになりました。初期のラジオは、回路通
みなさまからご要望のありました常設展のガイドブックを制作しました。 館内および通販で発売中です。A4版50ページ。 ご案内本書では日本が1925(大正14)年にアジアで初めて放送を開始してから戦争を経て戦後復興から高度経済成長期を過ぎて放送50年を迎えた1975(昭和50)年頃のBCLブームとラジカセの流行あたりまでのおよそ50年のラジオの歴史の概要を、常設展の流れに従って各時代の解説と時代を代表する製品数点を紹介する構成でまとめています。単なる展示品のカタログではなく、ラ
前の東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の前後10年間、日本は平均9%という驚異的な経済成長を達成し、家電製品が家庭に行き渡りました。この特別展では高度成長期を振り返り、1950年代後半から1980年頃までのラジオ、テレビなどを展示しました。 はじめに昭和31(1956)年の経済白書で「もはや戦後ではない」というフレーズが使われ、経済が戦前の水準を超えたことが明らかになりました。その後、池田内閣の「所得倍増」計画により、産業の設備投資が活発になり、GNPは年率
世界にはユニークなラジオがたくさんあります。2回目の企画展は、「収蔵品展」という自由なテーマで、日本のラジオの歴史を展示する常設展ではなかなか公開できない外国製のラジオを中心に展示しました。 はじめに 日本ラジオ博物館には1000点を超える収蔵品がありますが、多くはお見せすることができないでいます。このたび、「2013年度収蔵品展」として、皆様に寄贈いただいた資料を中心に、普段非公開の収蔵品を展示、公開しました。 展示は、1階常設展と同様に、1920年代から年代を追った
2012年2月、突然本当の博物館を作れることになりました。松本の中心市街地の小さな蔵を使った、最初のリアル「日本ラジオ博物館」の記録です。サイトでイベントの紹介などを紹介していた「博物館ニュース」の再構成です。これ以前のあゆみに興味をお持ちの方は↓ 博物館予定地下見 2012年2月 2月初め、松本の友人から、「店舗として使っていた蔵が空いているので、博物館をやらないか」との連絡があり、現地を見に行ったのが2月12日でした。天気は良かったのですがとにかく寒い日でした。 松本
タイトル写真は、残っている最古の2008年の当館のサイトのトップページです。2007年に「日本ラジオ博物館」を名乗ってネット上の博物館を立ち上げてから松本の博物館を開き、現在の新館に移転するまでのいきさつをお伝えします。 「日本ラジオ博物館」立ち上げ 2007年3月31日ラジオのコレクションを長く続け、ラジオで部屋が埋まるようになっていました。整理が付かないので番号を付けてデータベースを作ってはいました。 コレクター仲間からは「ホームページを作れ」と言われていました。ほか
日本ラジオ博物館(以下「当館」)は、お客様の個人情報(個人を特定できる情報)保護の重要性を認識し、個人情報保護方針(以下「本方針」)に基づき責任を持って適切な取扱い及び保護をするよう努めます。 ・取得 当館は、適正に個人情報を取得し、偽りその他不正の手段により取得することはありません。 ・利用 当館は、取得した個人情報を以下の目的のために、業務の遂行上必要な限りにおいて、利用いたします。 ただし、個別に明示または通知等により利用目的を示させていただいた場合は、その利用目
窓から涼しい風が入る晩夏の夜、はんだごてを握りしめてラジオの組み立てに取り組む少年。終戦直後、1947(昭和22)年のラジオ雑誌の表紙です。自分で組み立てたラジオから放送が聞こえた時のよろこびは何事にも代えがたいものがあります。放送が始まった頃からの「手作りのラジオ」を展示することでものづくりの楽しさをお伝えしたいと思います。 (画像出典:ラジオ科学1947年10月号表紙:部分) はじめにラジオの動作原理を理解するには高度な知識が必要で、たいへんむずかしいものですが、しかし